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Vol.184 女性の飲酒

【2013.10.10】

 
 女性と飲酒の関係について、「どぶろくと女」-日本女性飲酒考―阿倍健著には次のように書かれています。

 「明治になって、女性は酒を飲まなくなった。いつの間にか禁忌となり、それを犯すことは女らしくない行為とみなされた。」p472
 「文明開化の価値観は、欧米人から見て文明ならざる野蛮なものの一切であり、日本の在来文化や風俗の多くが悪習として排撃の対象になった。」p495

 江戸時代は女性の飲酒は認められていたようです。女性だからといって酒を飲まなかったわけではありません。
 お酒のことがの記載が多い幕末の「小梅日記」の嘉永4(1851)年3月7日の日記からの又引きです。

 「快晴、主人二日酔い、枕上がらず皆休ます。昼前起出でて書を見ることができず。また、明日から法事に付、外へも出られねば、今日河原辺りに行かぬかと言うゆえ、皆打ちつれて行く。梅本(小梅の夫・豹蔵の実家)の3人と権七荷持、あわせて11人行く。小梅大いに酔いて帰りて寝たるまま不知。深夜2時頃、主人起きて火おこし、茶煮てくれる。ようやくこの時小梅すこし醒める。まことにかような事不覚也。」

 3月初めの快晴の朝、夫は前夜の深酒で二日酔い。にもかかわらず、今日これから花見に行かないかと言う。
衆議一決、川合・梅本の家族11人が弁当を持ち出かける。小梅は花見に大酔いし、帰宅後も前後不覚。ようやく目覚めた深夜2時、夫が煮てくれた茶で喉をうるおし、少し正気づく。嗚呼わたしとしたことが何たる不覚、と。
 翌日の小梅は、前夜の不覚を取り戻そうと、休む間もなく働く。風呂をたき、夫と長男の髪を梳いて結い、合間にすしなども拵え、その後も絵を描いたり、歌も二首つくり、夕方になってようやく入浴・・・・。小梅48歳の健気なる奮闘である。」p425

 川合小梅は文化元(1804)年から明治19(1886)年の生涯を城下町和歌山で暮らした。彼女の書いた「小梅日記」は江戸期の10年分、明治期の8年分が現存しているが、そのなかで、一番古いのは、天保8(1837)年である。

その時小梅は34歳、夫・豹蔵(44歳)は藩校に勤める儒学者、他に息子(4歳)と小梅の母との4人家族である。和歌山城の北方約1キロの町の一廓に、300坪ほどの屋敷を拝領して住んでいる。隣近所はすべて中・下級武士の住居であった。

 夫の豹蔵は、愛酒家というよりも飲まぬ日とて無い無類の酒好きである。人が来ては飲み、他所に出かけては飲みの毎日だが、その間に万巻の書を読み、「左氏春秋」の校注をライフワークにとするような人物である。p409

 注)「どぶろくと女」著者略歴
 阿倍健氏は1933年中国生まれ。戦後上田市に引き揚げ。1976年(株)マーケティングビジネス創業。1991年㈱酒文化研究所創設に参加。酒文化研究家 
“あとがき”で「ひさしく酒のマーケティングを仕事にしていましたが、退職後は酒を相手に遊んで楽しむことを覚えました。と書かれています。
 


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