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Vol. 185 江戸時代の女性の飲酒例

【2013.11.10】

 
阿倍健「どぶろくと女」-日本女性飲酒考―から江戸時代の女性の飲酒例を引用します。

 「日本外史」の著者 頼山陽の母であり、頼春水の奥方である頼静子(雅号・梅颸:ばいし)の「梅颸日記」から引用します。「梅颸日記」は20歳で結婚した梅颸の26歳から84歳の期間の日記です。一年後、85歳で没しました。梅颸は大阪の儒者・儒医である飯岡義斎の娘です。頼春水は広島・竹原の商家の生まれですが、大阪に遊学し江戸堀に家塾を開き梅颸と結婚します。結婚の翌々年広島藩に招かれ広島藩学問所創設のため呼び戻されます。藩儒になった春水は藩主の信頼を得ます。江戸藩邸に登り、松平定信に近づき、幕政に参画し朱子学を官許にし、寛政の学生改革を実行させた人です。

 春水の江戸勤務は42歳からの20年間に7回・累計11年におよびます。その間、梅颸は広島にあって子を養育し、家事を取り仕切り、親戚や近隣と交際するなど、夫の留守を良く守りました。梅颸は大阪商人の出ということもあり、来客をよくもてなしました。また、男女の区別無く、上戸には酒を出すのが常でした。「どぶろくと女」―日本女性飲酒考―からの引用です。「梅颸日記」の中、酒のもてなしが最も多く記載されたのは、梅颸が50歳代(文化6年~文政元年)の時で、毎年50~60件の接待をしています。日記には自身の飲酒は何も書いてないが、女性と一緒に遊んだり酒を飲ませたりする場面では当然飲んだだろうと推察できます。梅颸は生来酒好きだったのでしょう。
 「春水は儒教を学問・思想としてのみでなく、日常生活の行動規範の礼として生き抜いた、数少ない儒者の一人であった。」と皆川美恵子(注1)は書いています。

夫・春水の没後3年、文政2(1819)年、京都にいた息子・頼山陽に招かれました。仲間の映雪尼と、甥の小園尚平と3月余りの京都・奈良へ旅をしました。「梅颸日記」によると、京都へ登る道すがら、明石や舞子では茶屋に上がり、浦の景色を眺めつつ酒を飲みました。大阪に着くと、真っ先に実家の墓に詣でますが、翌日からは三日連続で文楽、芝居、能、歌舞伎を見物します。その前後には寺社へも参詣しました。

京へは三十石舟で淀川をのぼり伏見に着きます。迎えに着た山陽と落ち合い、用意の川座敷で祝いの宴がにぎやかに開かれた。京の名所めぐりをし、吉野、奈良をめぐりました。
一切、山陽の手配ですが、入京の翌々日に、息子は母を島原の揚屋・三文字屋に案内します。酒食の後、四つの蜀台を灯して「太夫の上借り」をして母を喜ばせました。10人ほどの最上級の遊女のなかから気いった太夫を招び、それを返さぬうちに同じ太夫を招ぶことにしたようです。梅颸は太夫が「気高く艶に見える」と気いったようで、広島への帰路道頓堀の「しほ文」に島ノ内芸子を招んで遊んでいます。

 「梅颸日記」から例を引くと「祇園二軒茶屋にて酒たうべる。わりご持行く、吸い物・田楽など茶屋より取る」(3月22日)
 書画の会のあとの簡単な酒食風景。割籠(わりご)弁当を持参し、吸い物や田楽は茶屋から取った。
 「清水に詣、茶屋にて弁当、例の弁当、例の田楽。酒は道にて整え、「初紅葉」といいて、京人愛ずる品なり」(4月10日)
 清水に詣で、茶屋で昼食。酒は途中で京都人が好む「初紅葉」という銘柄を調達している。
 とあります。

 ここからは私がなぜ、梅颸(頼静子)に興味を持ったかを書きます。
 梅颸の妹は尾藤二洲に嫁いでいます。尾藤二洲は四国中央市川之江出身です。幼時、怪我で足を患います。船の運送業の跡継ぎになれないこともあり、儒医・宇田川楊軒に学びます。24歳で大阪に出て片山北海の門に入り、頼春水・中井竹山兄弟、古賀精里等とともに学びます。寛政3(1791)年、昌平黌教官となります。寛政の異学の禁の後の教学を指導しました。柴野栗山・古賀精里とともに寛政の三博士といわれました。四国中央市には顕彰会があり、郷土の偉人としてよく知られています。今年12月4日、四国中央市で没後200年記念式典が行われます。

 又、私の高校の同級生に広島県竹原市の頼祺一さん(注2)がいます。頼山陽の叔父・頼春風の子孫です。頼春風は大阪で医学・儒学を学び、安永2(1773)年帰郷し医業を開業しました。安永末年(1780)には塩田経営に乗り出し、天明元(1793)年には春風館を建築。春風は兄春水や弟杏平の出世と活躍の陰で、始終竹原にあって家業を守りました。天明元年の春風館は安政元(1854)年に焼失し、安政2年に再建され重要文化財に指定されています。竹原の町並み保存建築の主要な建物です。同じ保存地区に、滝野川の醸造試験所で同期だった竹鶴壽夫さんの蔵・竹鶴酒造(株)があります。酒銘と姓が一緒の日本で唯一の蔵です。祖父の弟さんがニッカの創業者・竹鶴政考さんです。竹鶴の蔵も建物保存地区の主要な建物の一つです。

 そんな縁で竹原には何度も行き、町の案内板をその度読みました。そんな縁がありますので「どぶろくと女」に「梅颸日記」が引用されていて興味深く読みました。社長のページで江戸時代の知識が増えましたが、明治政府が作り上げた、否定的な江戸時代ではなく、幕府の儒教の改革をした、春水の奥方が、ゆったりとした、おおらかな生活をしていたことに驚きました。

(注1) 皆川美恵子:大文字女子大学教授。著書「頼静子の主婦生活」―「「梅颸日記」」に見る儒教家庭
(注2) 頼祺一:広島大学名誉教授。頼山陽史跡資料館館長


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