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梅錦を知る

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Vol. 212 梅錦ビールの発足

【2016.2.10】


梅錦ビールは1994年4月、ビール醸造免許の最低製造数量を60KLに引き下げる規制緩和があり。その内免許第1号になりました。

 山川家は正善寺というお寺の分家の分家です。初代山川山三郎から数えて4代目の山川由良太が明治5年に酒造業を創業しました。

明治4年太政官布告清酒濁酒醤油鑑札収予並ニ収税法規則の第一則
一新規免許鑑札願受候モノハ、為免許料清酒ハ金十両、濁酒ハ金五両、醤油ハ金一両一分宛可相納、尤モ味醂白酒其外銘酒類ハ清酒ノ通タルヘキ事
 とあるように金十両納めれば新規免許が取得できるという明治政府の規制緩和を期に、酒屋になりました。太政官令布告の翌年の明治5年由良太が創業したいきさつが、家系図に記録されております。その内容は、山川由良太は「性農を好まず前途商業世界の極めて有望なるを観破し一躍して商業界に入る。居を下金川に移し・・・・酒油製造を本業とし傍ら河流を利用して水車事業を興し業務拡張をはかる」下金川は現在梅錦がある場所の地名です。

 明治の規制緩和で始めた梅錦が、平成の規制緩和では地ビールを始めたいと考えました。

 高松国税局の鑑定官室と酒税課に、表敬訪問をしたとき、ビール免許を申請したいと相談しました。今までの新規免許の時と違い、非常に好意的でした。伊予三島税務署を通じ高松国税局に申請書をだすと、書類の訂正などを指導していただき、吃驚するほど早く内免許が下りました。国税庁の内免許1号はオホーツクビールと梅錦ビールの2社が同日に免許がおりました。そのときオホーツクビール1社より2社同時におろすほうがよかったのだろうと思いました。

  梅錦のビールレストランの建設計画の丹原町は松山から車で約1時間、今治市から30分、西条市から30分という場所にあります。車を運転して来た人はビールを飲めません。運転してきた奥さんに楽しんでもらうハーブガーデンを併設することにしました。ハーブガーデンを見てもらい、ガーデニングの楽しみを知ってもらいたいという企画です。この企画は以前から印刷物でお付き合いのある凸版印刷の企画でおしゃれなビール園を作ることにしました。

ハーブ園というテーマでホップとハーブというコンセプトでした。梅錦ガーデン丹原麦酒醸造所の環境は果樹園(柿、キーウイフルーツ、ミカン、梅)に囲まれ、四国にしては広い田園の真ん中にあるハーブ園と地ビールレストランという施設です。
アメリカのクラフトビール醸造所視察でもレストラン併設のブルーリーが多く、日本でもレストラン併設が主流でした。
梅錦ガーデン丹原ビール醸造所は私どもにとっては今まで経験のないサービス業の業態でした。1995年7月オープンすると地ビールに寄せる関心は想像した以上に沢山のお客さんに来ていただきました。

始めてのサービス業にたずさわって一番勉強になったのは、お客さんの反応が肌に感じられるということでした。厨房で料理を作る人もホールでお客さんに接する人も、お客さんが喜んでくれるのが一番うれしいと心の底から思っていることでした。お客さんの第一とかお客さんのためにという言葉はマーケッティングの講習会などでたびたび聞かされていましたが、本音でお客さんに喜んでもらうために働いている人たちを目の前で知ることができたことが驚きでもあり、勉強にもなりました。

土日はお客さんがあふれて忙しかったため、清酒蔵からも応援に行ってもらいました。それは製造業では直接感じることができない、お客さんに喜んでもらうために日本酒を造っていることを、理論ではなく肌で感じる体験をしてもらいたかったことも大きな要因でもありました。 


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