vol.15 全国新酒鑑評会 (3) 〜梅錦の吟醸酒〜

梅錦山川 (株) 社長山川 浩一郎  梅錦がなぜ全国鑑評会の金賞を目指したかは、昭和9年に全国新酒鑑評会で一位になり、そのお酒を会長 山川由一郎が飲めなかったことであることに由来します。このことは前回のホームページに書きました。

 会長は、三代目克一が日本一になったのだから、自分も日本一を取りたい。と私に言ったことを覚えています。会長は利き酒が堪能です。文科系にも関わらず高松国税局の酒類審議会※1の委員になったのも、四国の利き酒競技会で3年連続1位になった実力を認められてのことだそうです。


会長 山川由一郎
会長 山川由一郎

 会長は阿瀬鷹治を杜氏として選ぶときも、阿瀬の造った市販酒を利き酒して決めたそうです。阿瀬鷹治は丹馬杜氏で、酒造りの腕は確かでしたが、吟醸造りは“小穴流”※2といわれる一時代前の造りしか知りませんでした。

 昭和39年、私は熊本国税局鑑定官室に転勤し、 (株) 熊本県酒造研究所で勉強させていただく機会に恵まれました。熊本県酒造研究所は「香露」の醸造元で、その頃、山田錦と熊本酵母を使い“香露流”の酒造りをすることが、鑑評会で金賞を取る一番の近道でした。その、香露の蔵で駆け出しの若造が勉強させていただき、日本一の吟醸を造るという親父の夢を叶えるのには、梅錦の杜氏 阿瀬鷹治に直接勉強に来てもらうのが一番だと、すぐに思いつきました。早速、酒造研究所の萱島先生に許可をいただき、阿瀬を香露に出張させるように親父に連絡をいたしました。


 阿瀬が香露で勉強したのは、吟醸の酒母麹を造り、酒母の仕込みをした3晩と、掛麹造りのときの2晩でした。それだけを見て経過の記録を写させていただき、香露の松本寿杜氏と萱島昭二先生のお話を伺うだけで全国新酒鑑評会で金賞をとったのです。
 香露で勉強して金賞を取った杜氏は多いのですが、多くは初年度に金賞を取るものの、2〜3年経つと取れなくなります。しかし、阿瀬はそれから12年連続金賞を取りました。

この12年連続金賞受賞が会長の達成した日本一です。

櫂入れをする阿瀬杜氏
櫂入れをする阿瀬杜氏

 一度金賞を取ると次の年はもっと良い吟醸を造りたいと考えるのは当然です。もっといい酒を造るということは、“香露流”に自己流を紛れ込ます結果になります。しかし、“香露流”といわれるように、再現性があり完成された吟醸造りを越えるのは容易なことではありません。

これが金賞を続けて取れない理由だと思います。
 阿瀬が連続して金賞を取ったのは“小穴流”で吟醸造りに精通していたことと共に、天分にも恵まれていたのだと思います。

阿瀬杜氏 (左) の指導を受ける山根杜氏 (右)
阿瀬杜氏 (左) の指導を受ける山根杜氏 (右)

仕舞い仕事をする山根杜氏
仕舞い仕事をする山根杜氏

 阿瀬から梅錦の杜氏を引き継いだ山根福平杜氏は、香露流の吟醸造りも引き継ぎ、自分のものにしています。しかし、山根杜氏には“学ぶ”は“真似る”ことだから、香露より良い吟醸を造ろうなどと思ってはいけない、基本を忘れないためには香露流をそっくり真似するように、と言い続けております。

  山根杜氏は“秋田流”※3といわれる超突き破精で仕込む吟醸造りもマスターしていますが、両方のよい特徴を取った麹造りをしようなどと考えるな、といっております。全て“真似る”つもりで出来た酒が山根の個性を持った吟醸酒になることは十分理解できていると思います。


 吟醸の酵母は今でも杜氏自身が熊本県酒造研究所にもらいに行っています。阿瀬が香露流の吟醸を勉強し、梅錦の基礎を作ってくれたという初心を忘れないための儀式だと言っています。この儀式により、山根杜氏がいよいよ吟醸造りが始まるのだ、と気持ちを切り替えて欲しいという意味も込めた、熊本研究所詣は今でも続いております。

※1 酒類審議会
酒税法第7章
※2 “小穴流”
小穴富司雄 「清酒醸造精善」 塚本商店出版部 1935
※3 “秋田流”
花酵母「AK-1」による吟醸造り。醸造協会誌 vol.89 p906 (1994)


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